イーハトーブ

 

わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、
きれいにすきとおった風をたべ、
ももいろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、
いちばんすばらしいびろうどや羅紗らしゃや、
宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、
にじや月あかりからもらってきたのです。
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、
十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、
もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。
ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、
わたくしはそのとおり書いたまでです。
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、
ただそれっきりのところもあるでしょうが、

わたくしには、そのみわけがよくつきません。
なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、
そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりのいくきれかが、おしまい、
あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、
どんなにねがうかわかりません。

【注文の多い料理店】序文

大正十二年十二月二十日
宮沢賢治

 

 

おいて枯れた時間軸の中に取り残されているようで
それはまるで渦の中心
身動きできなくなっている落ち葉のよう

けれどもその様が心地よくあるようで
私はこの渦の中心で今を生きている

過去を振り返り慈しむことに執着を覚えていると
そう、ずっと思っていた。
けれどをそれは
過去にとらわれていたものでなく
私の石居にあったということ。

私は
長い時間の流れの中で変化すべきこと
そのことにとらわれすぎていて
長い間、大切なそのことを忘れていたのかもしれません。

 

祭りごとは
だいぶんか
多くの方と交わって
だいぶんか
多くの方とにぎやかにあって
それは
だいぶんか
私の身を削り続けていることに

そしてまた
渦の中心で回り続けていることを

生きていく中で
私という存在に体がないように思えるのは
たぶんきっと
誰かだとかとは違う場所に
私は存在しているのだとそう今思えています。

 

わたしはたぶん少しだけ
誰かよりも何かをキャッチしてしまうのかもしれません。
たぶんそれを
うまく処理することが出来ないでいるのだと

だから私は
だれかとは少しだけ距離を置いて
孤独であるべきなのだと思っています。

たぶんこれらのことが
時間や時代を超えて私の中に存在する
ただ一つの確かなことなのかもしれないと
そう思っています。

 

 

宮沢賢治さんのいるこの世界に
私は同じように生きている
そう思えるくらい彼の世界観に居心地を感じ
時折帰りたくなってしまいます。

 

 

 

イーハトーブ
そして宮沢賢治さんの世界観
お時間あるときに見てみてください。

 

 

「イーハトーブ」への2件のフィードバック

  1. 宮沢賢治、大好きです!

    よだかの星
    涙がでます…。

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