生きることは

こんばんは、

今日も地下で

今日はすこし書き留めたかったことを。

 

 

昔話とその続き

 

 

中学生の頃、病気でおばあちゃんが死んだ

卒業式の2日前だった

病気だったから、覚悟はしていた。

おばあちゃんが死んだと伝えられた時、わたしはまずこう思ってしまった。

「私、卒業式出れないのかな。」

泣いた。

おばあちゃんの死を悲しむより先に、そんなことを思ってしまった自分が愚かで情けなくて、泣いた。

結局、お通夜とお葬式の日をずらしてもらって、卒業式は参加できた。

卒業式が終わってすぐに、おばあちゃんの元へ向かった。

おばあちゃんは冷たかった。

私は、死んだおばあちゃんの顔を一度しか見ていない。

最後のお別れ、と言われても、見ることができなかった。

手足が冷えるとか、そんなんじゃない冷たさが私はとても怖かった。

人ってこんなに冷たくなっちゃうんだ、となんとも言えない怖さはずっとなくなることはなかった。

あとのことは、あまり覚えていない。

あれから10年がたった。

「おじいちゃんが倒れた。」

社会人になって4年目。

出勤前の慌ただしい朝、そんな連絡を受けた。

ひとまず、仕事に向かった。

病気で通院してた訳でもない。

数週間前には親族みんな集まって新年会だってした。

年だったけど、元気だったおじいちゃんだ。

「何か大変な病気になってしまったのか」

そう思っていた。

その日、仕事は翌日の準備だけの日だった。

特に何もすることがない日だ。

「仕事終わりに病院行きます。何時までいけるの?」

そんな返事をした。

いつも通り、職場につき、掃除をして、準備をした。11時にはもうすることがなくなっていた。

母からのLINEを見た。

「おねぇちゃんといとこちゃん2人来てます。あとの2人もお昼に来ます。」

「無理はしないで。でも、できるだけ早く。」

孫が勢揃いしていた。

できるだけ早く、の言葉も不安を掻き立てた。

「どんな感じなの?」

怖くなった。

今夜が山なの?そんな感じなの?

はっきり言ってくれなきゃわかんないよ!

そんな意味を込めた。

「聞こえている、多分見えている、話はできない。病院について1時間、息がなかった。いますぐどうこうではないけど、、」

そんな返事が帰ってきた。

医療の知識なんてないし、なにもわからないけど、とりあえず思ってた感じと違うのはわかった。

できるだけ、はやく、行かなきゃいけないと、と思った。

仕事も今日なら別に何もないし帰れるだろうとほぼ確信していた。

すぐに行けばよかった。

おばあちゃんのことを思い出した。

冷たくなった、青白い顔を思い出した。

少し、怖くなった。

気づいたらお昼になってきた。

とりあえずご飯を食べよう。

そう思ってコンビニに行った。

カップやきそばを食べた。

食べながら、病院への行き方を調べた。

病院に行く前に、家にカメラを撮りに帰ろうと思った。

きっと、みんなで撮れる最後の写真だと思ったから。

カメラと三脚、持っていこう。

そんなことを考えてた。

気づかないうちに、またLINEが来ていた。

「おじいちゃん、急変しました。いま、みんな集まっています。」

それに続いて、

「おじいちゃん、なくなりました。13:32でした。」

茫然とした。

すぐに会社の事務所に行った。

「午後、休みください。」

もっと早くに帰っていたら。

お昼ご飯を食べなければ。

タラレバって本当にしょうもないなって思った。

泣きながら、会社を出た。

電車に乗っても涙は止まらなかった。

親族は私以外全員がおじいちゃんを看取った。

私は何をしていたんだろう。

悔しくて、悲しくて、情けなくて、申し訳なくて

ただ、1分でも1秒でもはやく病院に行こうと走った。

冷たくなったおばあちゃんを思い出していた。

まだ、あったかいかもしれない。

そう信じて走った。

病院についた。

ICUに案内されて、行ったら、慰安室に移動したと言われた。

慰安室の言葉の意味なんて知らなきゃよかったと思った。

案内された部屋には、本当に私以外、親族全員がいた。

ちらりとおじいちゃんの顔が見えた。

おじいちゃんは、もう冷たかった。

わたしは泣き崩れた。

あんなに声を出して泣いたのははじめてだと思う。

きっと呼吸器をつけていたんだろう、口のあいたままの青白い冷たくなったおじいちゃんがそこにいた。

なんでもっと早くこなかったんだろう。

もっと早くに来ていれば。

どうしょうもないことばかり考える。

その後、呆然としていたらおじいちゃんは葬儀場の方へとつれていかれた。

父や叔母は葬儀の準備にバタバタしていた。

自分たちも葬儀場にむかった。

1日、寝ることもできず、私はただお線香を絶やさぬようにじっと見守り続けた。

この文章を書こうと思ったのはその時だった。

残そうと思った。

自分の感じた死についてのことを。

いまでもずっと覚えている10年前の話と、今回のこの後悔について。

お通夜とお葬式は身内だけで。

とは言っても親戚みんな仲がよくて家族葬とは思えないくらいたくさん来てくれた。

全部終わって、家族みんなでおばあちゃんの家に帰った。

お正月ぶりの家族みんなでご飯を食べた。

私の家族と従姉妹家族、おばあちゃん、合わせて16人。

ひ孫が二人もいるもんだから、騒がしく、みんなが笑えていた。とても賑やかだ。

おばあちゃんも、「ちっちゃいのがいると明るくなっていいね」と言っていた。

みんなで出前を頼んで、ご飯を食べた。

しばらくして、ピンポーンとチャイムが鳴った。

荷物が届いた。

おじいちゃん宛だ。

みんなで開けた。そして笑った。

『座ってできるペダルこぎ機』

おじいちゃんは元気だったけど足腰は弱っていた。あまり出歩いたりもしなくなっていた。

でもきっと、お正月に孫やひ孫に会って、もうちょっと元気になろうって思ったんだろうねって。

こんなん買ったらいいやんって話したときはいらんって言ってたのにっておばあちゃんも笑ってた。

元気に生きようとすることって、幸せな気持ちになるなって思った。

今日は、四十九日。

わたしは元気です。

きっとあぶなっかしい孫なんだろうけど、なんとか生きていくよ。

おばあちゃんにもちょくちょく会いにいくからね。安心して。

元気でね、また会う日まで。

3/15

 

 

 

タラレバって、本当に無駄で

本当に虚しさと後悔しか残らない

 

だから、みんな、

後悔のないように、生きれるといいな。

 

そう、思います。

 

2020/03/21

「生きることは」への1件のフィードバック

  1. 最愛の誰かを失った時って
    後悔ばかりです
    本当にあの時こうしたおけばよかった
    なんてことばかりで、
    本当にそうやったみんながそんなこと抱えて
    乗り越えて命を引き継いで生きているんだなって

    おじいさまの優しさを感じます。
    家族の暖かさを
    みんなが笑えたエピソードはやっぱりおじいさまの優しさなんだろうな。
    同じようなことに、これからに頑張ろうとおもえました。ありがとうございます。

    おじいさまのご冥福お祈りいたします。

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