カタツムリが転ぶ

imaginationをめぐらすのにidea入らない。
ここのところ自分に言い聞かせていること。

目を引く、おもしろそう、は
これまでもなんら先に繋がることはなく
どこかストレスだけが残っていく
まあ、それはそれでいい経験にはなっているけどね。

先に繋がるなにかは考えてみると
創造や妄想の中で浮かんできたひらめき
それは感動することであったりと
心を動かされる何かであった。
また、何かideaになるではなく
何かを見たときに受ける衝撃が
頭の中でいくつも枝分かれして広がっていく発想。
いろんな見たことや感じたことが
自分の中で生まれるあたらしい衝撃につながるから。

例えば
「カタツムリが転ぶ」
って今思いついた言葉に
この子に命を吹き込んであげる発想って
何かを調べてみてもたぶんカタツムリは幸せに
なれないから、
頭の中でこの子がどうあるかを妄想することが大事で…

「カタツムリが転ぶ」
昨日まで降り続いた雨がようやくあがる
大きなゴムの木に裏側で雨宿りしていたカタツムリも
地面に残る大きな湖のような水たまりが引けば
いつものように行動を始めるのだろう
葉っぱを伝わる水滴がカタツムリの殻にあたり
日の光を受けてきらきらと輝いている。

見たいな感じで物語に命を吹き込んでいく。
この時の葉っぱに伝わる水滴を書きたかったり
そうゆうイメージの場所を写真に収めたかったり
雨が降るときのおんがくをそうぞうしてみたり

なんてものが自分の心がすくわれる作品につながるから。

物語が先かタイトルが先かは
そのときによって違うけど

とにかく探すものではない。

imaginationをめぐらすのにidea入らない。
だからこれからのものは必ずそうなければいけないと
心に決めている。

じゃないとすぐ何かに影響された違うほうで
迷走しちゃうんだもんね。

 

 

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